NIKE|走ることが格好いい時代を、NIKEも一緒につくった
レイ|ランニングブームを一社の手柄にしない
事実。
先に答えると
NIKEは、1970年代のランニングブームを一社で発明したわけではありません。
でも、ただ流行に乗っただけでもありません。
共同創業者のビル・バウワーマンは、1960年代にオレゴン州ユージーンで一般市民へジョギングを広め、1967年には『Jogging』を出版しました。NIKE自身のアーカイブも、この活動が全米規模のジョギング現象を後押ししたと位置づけています。1
同じ頃、バウワーマンはCortezのようなロード向けシューズを改良し、1970年代にはWaffle Trainerを一般ランナーへ広げていきます。12
つまり、NIKEの成長には二つの流れが重なっていました。
走る人が増えた。
そして、
増えた人たちが使いたくなる商品をNIKEがつくった。
どちらか一方ではありません。
競技から、日常へ
1950年代から1960年代初頭まで、ランニングは今ほど一般的な余暇ではありませんでした。
陸上競技。
学校スポーツ。
軍隊。
あるいは一部の競技者。
そんなイメージが強かった時代です。
バウワーマンがユージーンでジョギングを広めた意味は、速い人をもっと速くすることではありませんでした。
走ることを、
「競技に出ない人でもやっていい」
行為へ広げたことです。
ここでランニングの意味が少し変わります。
タイムを競うものから、
健康。
気分転換。
自己鍛錬。
生活習慣。
へ。
スポーツが、少しずつ日常へ降りてきます。
Cortezは、ちょうどその境目にいた
バウワーマンが設計に関わったTiger Cortezは、長距離を走るためのクッションと耐久性を持ち、NIKE公式資料では「舗装路で安定性と快適性を持つ」モデルとして説明されています。1
重要なのは、すごい競技用スパイクだったことだけではありません。
普通の人が道路を長く走る時代に、ちょうど必要になる性能だった。
ことです。
1973年にはRunner's WorldがNike Cortezを米国で最も人気のある長距離トレーニングシューズと評した、とNIKE公式アーカイブは記録しています。1
商品が文化を生んだ。
というより、
文化の変化が商品を必要とし、商品がその文化をさらに見えやすくした。
そう読む方が近そうです。
Waffle Trainerは「週末に走る人」まで見ていた
ワッフルソールも同じです。
もともとはトラック上でのグリップ問題から生まれた技術でしたが、その柔らかさとクッション性はエリート選手だけではなく一般ランナーにも支持されました。NIKE公式アーカイブでは、Waffle Trainerが1975年までに10万足を超える注文を集め、当時のランニング市場拡大を象徴する商品になったとされています。2
ここで面白いのは、NIKEが「トップアスリート専用」のままでは大きくならなかったことです。
トップ選手を観察して技術をつくる。
でも、その技術を普通の人にも使える商品へ戻す。
この往復がありました。
プロ仕様の包丁をそのまま家庭へ持ってくるのではなく、切れ味の考え方だけを家庭用へ翻訳するようなものです。
専門性を残しながら、参加できる人を増やした。
NIKEは時代を作ったのか、時代に乗ったのか
ここで一番慎重になりたいところです。
「NIKEがランニングブームを作った」
と言ってしまうと、少し話がきれいすぎます。
1970年代の米国でランニングが広がった背景には、健康意識、レクリエーション、ロードレース、メディア、都市生活、他メーカー、著名ランナーなど、NIKE以外の要因もありました。
今回確認できた一次資料だけでは、それら全部をNIKEの因果として扱うことはできません。
だからBASでは、こう整理します。
NIKEは時代を発明した会社ではなく、時代の変化を早く捉え、その変化へ商品と物語を返し続けた会社だった。
そして、その返したものがまた文化側へ影響する。
一方通行ではなく、循環です。
文化がブランドを育て、ブランドが文化を見えるようにする
この構造は、NIKEだけの話ではありません。
例えばコーヒー。
豆を売る会社だけではカフェ文化は生まれません。
働き方。
街の過ごし方。
第三の場所。
持ち歩くカップ。
いろいろな変化が重なって初めて文化になります。
でも、その変化をうまく掴んだブランドが出てくると、文化は急に「形」を持ちます。
ランニングでも同じことが起きました。
走る人が増える。
走る靴が増える。
走る服が生まれる。
走る人の見た目ができる。
走ることに意味がつく。
その意味をNIKEは商品、広告、アスリート、記号へ戻していった。
この繰り返しで、ブランドと文化が一緒に大きくなっていきます。
BASがここで持ち帰るもの
ブランドが成長した時、つい、
「自分たちが市場を作った」
と言いたくなります。
でも実際には、顧客の暮らしや社会の変化が先に動いていたことも多い。
だから見るべきは、
- 世の中で何が変わり始めていたか
- 顧客の行動はどう変わったか
- 自社の商品はその変化のどこに合ったか
- 自社は文化を利用しただけか、それとも文化へ何か返したか
です。
NIKEを歴史から見ると、強いブランドとは「流行を当てた会社」というより、文化の変化と何度も会話し続けた会社なのかもしれません。
次のstoryでは、この文化との往復を実際に動かした人たち――Bowerman、Knight、Jeff Johnson、Carolyn Davidson、Steve Prefontaine、Michael Jordanなど――を見ていきます。
限界。 1970年代の米国ランニングブームは、NIKE一社の活動だけでは説明できません。健康意識、ロードレース、メディア、地域コミュニティ、競合ブランドなど複数の要因が重なっており、NIKE公式資料は同社の役割を確認する一次資料として使い、社会全体の因果を一社へ帰属させないように読みます。
仮説。 NIKEは1970年代のランニングブームを単独で生んだのではなく、健康志向、競技文化、メディア、地域コミュニティ、他社商品などが動く中で、Bowermanの普及活動と商品開発を通じて相互作用した、と置く。文化に乗っただけでも、文化を作っただけでもない。
守るもの。 複数原因を残すこと。企業アーカイブは創業者の活動を確認する一次資料だが、社会全体の因果を判定する第三者資料ではない。一般ランナー、女性、地域、競合ブランドなど、企業史の外側にいた主体を消さない。
優先。 出来事を「誰が」「どの場で」「どんな商品・実践を介して」「何が変わったか」に分解する。Bowermanのジョギング普及と靴の改良を、時代全体の健康・余暇文化と並べて読む。
しないこと。 「NIKEがジョギングを発明した」「ブームがNIKEを自動的に勝たせた」とは言わない。公式の回顧表現を市場因果や社会史の結論へ拡張しない。
得失。 一社の英雄譚を避ければ、ブランドが文化へ参加する具体的な方法を学べる。一方で物語の爽快さは弱くなり、単純な成功法則にはできない。その複雑さを残す方が再利用には耐える。
見直し条件。 1970年代の参加人口、出版・大会史、競合商品の記録など新しい一次・学術資料が加わった時。NIKE公式の歴史記述が更新された時も、引用範囲と因果表現を再点検する。
NIKE|一人の天才ではなく、役割の違う人たちが意味を足した
レイ|一人の天才ではなく、役割の連鎖を見る
事実。
NIKEは、誰がつくったのか
「NIKEをつくった人は?」と聞かれれば、まずPhil KnightとBill Bowermanの名前が出てきます。
間違いではありません。
でも、ブランドの歴史を少し長く眺めると、二人だけでは説明しきれなくなります。
NIKEには、靴を変えた人、顧客と話した人、印を描いた人、走ることを格好よく見せた人、そして一人の身体そのものを世界的な記号にした人がいます。
BASでは、この章を「偉人伝」にはしません。
誰が、NIKEにどんな意味を足したのか。
その役割の違いを見ます。
Phil Knight|商品をつくる前に、事業の器をつくった
Phil Knightは1964年、かつての陸上コーチだったBill BowermanとBlue Ribbon Sportsを始めました。NIKE公式アーカイブでは、二人が1964年1月25日に握手でパートナーシップを結んだことが起点として整理されています。1
Knightの役割を一言で「創業者」としてしまうと少し粗い。
彼が担ったのは、日本製ランニングシューズを米国へ持ち込み、販売網をつくり、やがて他社製品の販売だけではなく自社ブランドへ移るための事業の器でした。
現在のNIKE公式プロフィールでも、Knightは小さなパートナーシップから世界規模の会社へ成長させた共同創業者として位置づけられています。2
商品だけでは会社になりません。
誰に売るか、どう資金を回すか、どこで勝負するか。
NIKEには、最初から「走る人を見る人」と「事業として成立させる人」が別々にいました。
Bill Bowerman|ブランドの原点を、身体からつくった
Bowermanの役割はかなり違います。
彼は1950年代から既存のランニングシューズを分解し、選手の足や走り方を見ながら素材、スパイク、形を変えて試作していました。企業へ改善案を送っても採用されず、自分で靴作りを学んだこともNIKE公式資料に残っています。3
Cortezやワッフルソールへ続くこの姿勢は、NIKEに一つの性格を加えました。
アスリートに合わせて、既存の道具を疑う。
ブランド理念を会議室で決める前に、すでに行動として存在していたわけです。
これは面白いところです。
ブランドの「思想」は、あとから書いた文章ではなく、最初に繰り返していた行動の中に隠れていることがあります。
Jeff Johnson|顧客と商品を、近い距離でつないだ
Jeff JohnsonはNIKE最初のフルタイム従業員として公式アーカイブに登場します。4
彼の仕事は、単なる販売スタッフではありませんでした。
Bowermanとともにトラクションのアイデアを試し、1970年代には競技用スパイクの改良にも関わっています。Pre Montrealでは、つま先の縫い目をなくして水ぶくれのリスクを減らす構造を考え、Steve Prefontaineの厳しいフィードバックを商品へ戻しました。4
つまりJohnsonは、
会社と選手の間に立つ翻訳者
だったと見ることができます。
顧客の声を聞くだけではなく、商品へ変える。
この役割は、規模が大きくなった会社ほど見えにくくなります。
Carolyn Davidson|35ドルの線に、会社が意味を積んだ
1971年、Blue Ribbon Sportsは自社商品のための記号を必要としていました。
Phil Knightが依頼したのが、当時ポートランド州立大学の学生だったCarolyn Davidsonです。
彼女が制作したSwooshへの報酬は35ドル。Knight自身も最初から熱烈に気に入ったわけではありませんでした。5
ここでDavidsonがNIKEに足したものは、世界的ロゴそのものというより、
自分たちを指し示す「空の器」
だったのではないでしょうか。
最初から伝説の意味が入っていたわけではありません。
走る選手、商品、勝利、広告、時間。
それらが後からSwooshへ積み重なった。
ロゴはブランドを一瞬でつくる魔法ではない。
でも、積み重ねた意味を置いておく場所にはなれる。
Steve Prefontaine|有名人ではなく、文化の中を歩いた人
Steve Prefontaineは1973年、NIKEが最初に契約したスターランナーとして公式資料に登場します。6
ただし彼の面白さは、広告に顔が出たことではありません。
彼はBRSの店舗でも働き、自ら「National Director of Public Affairs」という肩書きの名刺を作り、学校、スポーツ店、ランニングクラブを回ってトレーニングの話をしながらNIKEのシューズを紹介していました。6
つまり、
商品を宣伝した人というより、ランニング文化そのものを人へ伝えた人
に近い。
しかも彼はNIKEの商品なら何でも褒めたわけではありません。Pre Montrealの開発史には、Bowermanの試作品を含め、合わない靴には厳しい反応をしていたことも残っています。4
ここが大事です。
ブランドの象徴人物が、会社に都合のいい広告塔だけではない。
本人の基準があるからこそ、象徴に説得力が出る。
Michael Jordan|一人の選手を、一商品の広告で終わらせなかった
1980年代、NIKEは人物と商品の関係をさらに大きくします。
Michael Jordanから始まったAir Jordanシリーズは、2025年にAir Jordan 40へ到達し、Jordan Brand自身が「40年前にMichael Jordanが切り拓いた」フランチャイズとして位置づけています。7
ここで起きたことは、スポーツ選手に靴を履かせること以上でした。
競技上の偉大さ。
身体の動き。
スタイル。
商品デザイン。
Jumpmanという記号。
次世代の選手。
これらが何十年も続く一つのブランド世界へ変わった。
NIKEは、人物を「借りた」のではなく、
人物と一緒に長期資産をつくる方法
へ進んだと考えられます。
ただし、1980年代の契約交渉や市場競争を含む詳細は、NIKE自身の回顧だけで確定せず、第三者資料をdeep側で追加検証します。
面白いのは、全員が同じ仕事をしていないこと
ここまで並べると、NIKEの人物史は少し変わって見えます。
Phil Knightは事業をつくった。
Bill Bowermanは身体から商品を変えた。
Jeff Johnsonは顧客と商品をつないだ。
Carolyn Davidsonは意味を蓄える記号をつくった。
Steve Prefontaineはスポーツ文化を人へ伝えた。
Michael Jordanは人物と商品を長期資産へ変えた。
全員が「ブランディング担当」ではありません。
でも、全員がブランドをつくっています。
これが、この章で一番持ち帰りたいところです。
ブランドは、ブランド担当者だけがつくるものではない。
商品を変える人、売る人、使う人、語る人、象徴する人の判断が、同じ方向へ重なった時に厚くなる。
逆に言えば、一人のカリスマだけにブランドを背負わせると、その人がいなくなった瞬間に意味まで消える危険があります。
NIKEが面白いのは、強い人物を使いながらも、その人物ごとに違う役割をブランドの中へ残してきたことです。
次の05 symbolsでは、この人物たちが積み上げた意味が、Swoosh、Jumpman、Just Do It、Air、そして「動いている身体」という記号へどう定着したのかを見ていきます。
仮説。 NIKEの厚みは、Knightの事業設計、Bowermanの商品実験、Johnsonの顧客接点、Davidsonの視覚記号、Prefontaineの文化的可視性、Jordanとの長期的な商品・人物関係が、同じ中心意味へ接続したことで生まれた。
守るもの。 人物を広告素材に還元しないこと。各人の役割、交渉、創作、身体経験を区別し、会社の公式史が功績をどう編集しているかも明示する。
優先。 人物ごとに「持ち込んだ資源」「商品や体験への変換」「ブランドへ残った意味」を分ける。特にJordanは単なる推薦者ではなく、設計への関与を含む長期関係として見る。
しないこと。 創業者一人の直観ですべてが決まったとはしない。スターを起用すれば意味が自動移転するとも、人物の人気が商品性能を証明するとも扱わない。
得失。 役割を分けると、小規模組織でも観察、設計、接客、記号、文化翻訳を誰が担うか設計できる。代わりに、単純な創業者神話の分かりやすさは失う。
見直し条件。 新たな社内文書、デザイナー・選手本人の記録、契約史が公開された時。功績配分やJordan商品史に異論が示された場合は、断定を弱め、資料間の差を併記する。
NIKE|強いのは記号ではなく、意味を移し続ける仕組み
レイ|Swooshだけでなく、意味の受け渡しを設計する
事実。
記号は、生まれた瞬間から強かったわけではない
Swooshを見ると、いまでは説明がなくてもNIKEを思い出します。
でも、1971年の時点でこの線が世界的な意味を持っていたわけではありません。NIKEの公式アーカイブによれば、Carolyn Davidsonが描いたSwooshは35ドルで制作され、Phil Knight自身も最初から強く気に入っていたわけではありませんでした。初期はモデルごとに形もかなり揺れていました。
つまり、強い記号は「最初から完成していた」のではなく、使われながら意味を背負っていった。
ここがNIKEの記号を考える最初のポイントです。
Swoosh|動きの記号
DavidsonはSwooshに動きを感じさせる意図を持っていました。NIKE自身も現在、この記号を速度、イノベーション、可能性と結びつけて説明しています。
ただし、重要なのは形だけではありません。
マラソンのゴール、オリンピック予選、Steve Prefontaineのウェア、競技場、街中のスニーカー。その同じ線が、動いている人の身体と何十年も一緒に現れ続けた。
だからSwooshは、単なるチェックマークではなくなったと考えられます。
Jumpman|身体そのものを記号にする
Swooshが抽象的な「動き」なら、Jumpmanはもっと直接的です。
跳んでいる身体そのものが記号になっています。
現在のJordan Brandでも、Jumpmanは『greatness』を象徴する言葉とともに使われています。面白いのは、それがMichael Jordan本人だけに閉じていないことです。WNBAや他競技、次世代のJordan Brandアスリートにも広がっています。
一人の英雄の身体が、やがて『偉大さへ向かう身体』という広い意味へ移っている。
Just Do It|見る記号から、動かす言葉へ
1988年に始まったJust Do Itは、商品の特徴を説明するコピーではありませんでした。
むしろ、読んだ人へ行動を返します。
やる。
始める。
もう一度試す。
2025年にNIKEがWhy Do It?として再編集した時も、偉大さを「結果」ではなく「選択」として捉え直しました。
ここでも中心にあるのは、勝利そのものではなく、動き出すことです。
Air|技術を隠さず、見せてしまう
Air Maxが面白いのは、性能を説明文だけで伝えなかったところです。
Airというクッション技術に『窓』を開け、機能そのものを見えるデザインにしました。
技術は普通、内部に隠れています。
ところがNIKEは、内部構造を外観へ持ち出した。
これによってAirは、機能であると同時に記号になります。
「この靴には何か入っている」が、見れば分かる。
技術を可視化することで、説明をデザインへ変えたとも言えます。
では、NIKE最大の記号は何か
Swooshでしょうか。
Jumpmanでしょうか。
Just Do Itでしょうか。
BASでは、もう一段抽象化してみます。
NIKE最大の記号は、もしかすると「動いている身体」なのではないか。
走る。
跳ぶ。
汗をかく。
負ける。
立ち上がる。
もう一度やる。
Swooshも、Jumpmanも、Just Do Itも、Airも、最終的にはこの身体の変化へ戻ってきます。
だからNIKEは、記号を増やしてもバラバラになりにくい。
中心に同じ意味があるからです。
BASが持ち帰る視点
ブランドの記号を考える時、『新しいロゴを何にするか』から始めると、少し順番が逆かもしれません。
先に考えたいのは、
自分たちは、どんな行動や変化を何度でも象徴したいのか。
その中心意味が決まれば、ロゴにも、言葉にも、人物にも、商品にも、空間にも移すことができます。
NIKEから学べるのは、強い記号を一つ作る方法というより、
同じ意味を、時代ごとに違う記号へ移し続ける方法
なのかもしれません。
仮説。 Swoosh、Jumpman、Just Do It、Airは役割が異なるが、動く・挑む・可能性を広げるという中心意味へ接続されることで相互補強した。記号の強さは造形単体より、商品・人物・行動場面で繰り返し意味を受け渡す運用にある。
守るもの。 記号の出所と使用文脈を守る。ロゴの認知を好意、購入、性能理解と同一視せず、人物の文化的意味が商品へ移る過程では本人の主体性と社会的文脈を残す。
優先。 各記号に一つの仕事を割り当てる。識別、技術の可視化、人物の身体性、行動の呼びかけを混ぜず、中心意味との接続だけを共通化する。
しないこと。 有名ロゴを似せる、短い命令形コピーを作る、スターの写真を載せる、といった表現模倣を構造の再現だとはしない。
得失。 意味の分業ができれば、商品群が増えても同じブランドとして読まれやすい。一方、使い方を固定しすぎると文化側の再解釈や遊びを妨げるため、統制と余白の両方が要る。
見直し条件。 商標運用、新しいサブブランド、人物との関係、利用者側の解釈が中心意味から離れた時。認知調査や文化研究が得られれば、企業の自己説明と照合する。
NIKE|「アスリート」を、遠い英雄から自分の可能性へ
レイ|遠い英雄を、今日の行動へ翻訳する
事実。
NIKEは、アスリートを発明したわけではありません。
けれども、「誰をアスリートと呼ぶのか」という境界は、かなり大胆に動かしました。
競技会に出る人。記録を争う人。プロとして報酬を得る人。かつてスポーツブランドが中心に置いていたのは、こうした遠い存在でした。
ところがNIKEの歴史を追うと、その線が少しずつ生活者側へ移っています。Bowermanが1960年代にジョギングを一般へ広げたこと、一般ランナーにも使えるCortezやWaffleを育てたこと、そして1988年以降のJust Do Itが「勝ちなさい」ではなく「やってみよう」と行動そのものを前へ出したこと。
現在のNIKEのMissionには、Bill Bowermanに由来する「If you have a body, you are an athlete」という考え方が掲げられています。
これはかなり大きな再編集です。
世界記録を持っているからアスリートなのではない。
身体があり、動こうとするなら、その物語へ入れる。
そう考えると、Michael Jordanのような英雄の役割も少し違って見えます。英雄は「あなたにはなれない人」でもある一方、「人間はここまでできるかもしれない」と可能性を見せる存在でもある。
NIKEは、この遠さと近さを同時に使ってきました。
憧れる人を遠くに置きながら、Just Do Itでこちら側へ一歩を促す。
BASでは、この構造を「英雄の大衆化」とは呼びません。Jordanの偉大さ自体を薄めているわけではないからです。
むしろ、英雄を見る行為を、自分自身の行動へ翻訳したと捉えます。
ここには重要な条件もあります。
憧れは、必ず人を前向きにするわけではありません。自分との差が大きすぎれば、「自分には無理だ」という比較にもなる。だから、ブランドが強い人物を置けばそれだけで人が動く、とは言えません。
では、他人の成功を見ることが「自分もできそう」という感覚へ変わるのは、どんな時なのでしょう。
この問いは、次の記事で扱うアルバート・バンデューラの自己効力感とモデリングへつながります。
仮説。 NIKEはアスリートの範囲を、競技成績で選ばれた人だけから、身体を動かし始める人へ広げた。憧れを観察で終わらせず、小さな行動へ接続できた時、英雄の意味は自己効力感の手がかりになり得る。
守るもの。 参加の開放性と本人の選択権を守る。身体能力、年齢、障害、所得、競技環境の違いを消さず、「動かないのは意志が弱い」という道徳化を避ける。
優先。 呼びかけの後に、始められる商品、場、説明、段階、失敗から戻る道を置く。成功者の結果より、取り組み方や試行過程を見せる。
しないこと。 Banduraの自己効力感理論を、広告を見れば自信が上がるという説明へ短絡しない。憧れ、観察学習、自己効力感、実際の行動を別の変数として扱う。
得失。 参加条件を広げると、ブランドは生活者の行動と結びつく。一方、誰にでも同じ挑戦を促すと、比較圧力や排除感、過剰努力を生む。
見直し条件。 キャンペーンの対象表現、商品の価格・アクセス、参加者の反応が変わった時。行動開始だけでなく継続、負傷、離脱、心理的負担のデータも得て評価を更新する。
自社の呼びかけの後には、顧客が実際に始められる入口がありますか。今の案内文を一つ持って、参加までの距離を考えてみましょう。
下の「3人と相談してみる」から、あなたの状況に合う次の一手をBASで一緒に考えてみませんか。




