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HISTORY · レイ

草間彌生|同じ反復が、違う美術の問いに触れる

草間の反復を美術史に置く際には、似た形式を共有すること、同じ場で発表したこと、同じ問題を追ったことを分けて考えたい。白い画面という共通点だけで、作家の目的まで同じになるわけではありません。どの作品を、どの時点の議論に結びつけているかを示すと、一人の作家を一つの流派へ収めるための説明から、作品ごとの違いを調べる説明へ進めます。

MoMAの《No. F》のページには、異なる時期の展示解説が掲載されています。二〇一七年の解説は白い画面と厚い絵具の網目に着目し、二〇二三年の解説は筆跡とその間の空間の関係を説明します。ここから、同じ作品でも、展示が取り出す論点は変わり得ると読めます。どちらも美術館による解釈であり、作品の素材や寸法のような記録項目とは性質が異なります。

一方、《Accumulation No. 1》についてMoMAは、一九六二年にニューヨークのGreen Galleryで他の作家とともに展示されたと記しています。縫製した柔らかな形で日常の家具を覆う仕事には、絵画の画面構成だけでは捉えきれない物体や身体の問題があります。ポップ・アートに関わる展示の場にいたことを確認しても、それだけで草間の全制作が消費社会の図像を扱うものだったとは結論できません。

この読み分けは、後の評価を初期の意図へ戻してしまうことも防ぎます。美術館がある作品を女性と戦後抽象の展示で紹介した事実は、その視点から読み直せるという証拠になりますが、制作時にその展示の問いが計画されていた証拠にはなりません。反復を共通する手がかりとしながら、筆の跡、家具の用途、展示の組合せをそれぞれ確かめる。草間の実践が複数の議論と交わる面白さは、その違いの中にあります。

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STORY · レイ

草間彌生|作者の声と、美術館が語る物語

作者を知るために読む文章にも、語っている立場があります。本人の発言、後年の聞き書き、美術館の紹介文では、残される情報も目的も違います。制作に関わる人や展示する人の存在を考えることは必要ですが、名前も分担も分からない制作現場を想像で補うべきではありません。草間本人の経験を尊重することと、作品を社会へ伝える過程を複数の立場から見ることは、両立できます。

MoMAのキュレーター、ローラ・ホプトマンが書いた二〇一二年の記事には、興味深い食い違いが記されています。館が一九九八年の展覧会を最初の機会と考えていたのに対し、草間は一九六九年に彫刻庭園で行った行為を自分の最初の展示として挙げたというのです。記事は、その行為が当時の美術館の把握しないところで行われたとも説明しています。

ここで異なるのは、単なる年の数え方だけではありません。館が正式に組織した展示を数える立場と、美術館という場所で自ら作品を提示した行為を数える立場が、別の始まりをつくっています。ただし、これはキュレーターが二〇一二年に記した回顧です。当日の全記録や草間本人の発言原稿を通読した結果として扱わず、語り手と記述時点を添えて読む必要があります。

作品が誰のものとして記憶されるかを考える時、作者名の表示だけでなく、誰が出来事を記録し、後から何を展示史に含めたかにも目を向けられます。作者が語る経験を美術館の分類で消さず、美術館の記録を作者の言葉と取り違えない。この二つを保つことで、作者性は孤立した天才の物語にも、制度が自由につくる名前にも収まりません。資料の間にあるずれ自体が、その関係を考える具体的な手がかりになります。

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SYMBOLS · レイ

草間彌生|見覚えと作者への結びつきが生まれる場所

ここでは作者の記号を、ある特徴から特定の作者を思い起こす結びつき、と限定して考えます。作品の真贋を決める方法や、丸い形を使う権利についての定義ではありません。同じ模様を見ても、草間の作品に接した人と、接していない人では手がかりが違うはずです。ただし、その差の大きさを今回測定したわけではなく、以下は作品を比較するためのBASの仮説です。

《No. F》のような網目の絵画と、ラベルを貼った《Accumulation of Stamps, 63》を、丸の一致だけで結ぶことはできません。作品記録で確かめられる材料も制作方法も違います。それでも両者を同じ作者の仕事として並べれば、部分を繰り返して画面をつくることへ関心が向くかもしれません。作者との結びつきは、一個の形だけでなく、複数の作品の間を行き来する見方からも考えられます。

この仮説には反対側の例も必要です。作者名を隠すと連想できず、名前を添えると初めて分かるなら、結びつきを支えているのは形より説明かもしれません。また、点が多い作品をすべて草間と呼んでしまうなら、強い見覚えが個別の識別を妨げています。気づきやすさ、作者を当てられること、作品の違いを説明できることは、それぞれ別の問いとして確かめる必要があります。

したがって、反復の回数だけを増やせば作者らしさが強まる、という提案には進みません。作品群の中に続いているものと、その都度変わるものを一緒に見ることが重要です。たとえば、同じ題材でも材料を変えるたびに新しい緊張が生まれるなら、その変え方も実践の特徴になります。草間を読む際の記号とは、固定した形を取り出すための箱ではなく、具体的な作品へ戻るための入口として扱えます。

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REEDITING · レイ

草間彌生|描く、貼る、縫うで変わる反復

モチーフを別の材料へ移す時、見た目が保たれるかだけでなく、繰り返しを生む作業がどう変わるかを見てみます。描くなら一つずつの筆の動きがあり、貼るなら既にある物を選び配置する作業があり、縫うなら布を形にして量感をつくる作業があります。これらは制作の実際をすべて再現した説明ではなく、確認できる材料と工程から比較できる範囲を切り出したものです。

MoMAは《Accumulation of Stamps, 63》の素材を、貼り付けたラベルと紙上のインクと記録しています。描いた形に似せて別の形を描く場合とは違い、ここでは既製のラベルが作品の部分になります。ただし、ラベルの生産者や購入量、配置の手順までは同ページから確定できません。既製品を使うことを、そのまま制作の容易さや機械的な均一さへ結びつけないようにします。

《No. F》の絵具と《Accumulation No. 1》の詰め物をした布も、厚みがあるというだけでは同じ働きになりません。絵画では画面上の跡と空白を見ますが、椅子を覆う立体では、物の輪郭や、本来そこへ身体を置く用途も気になります。この違いを保ったまま、反復が表面を埋める様子を比較すると、媒体を変えることは輪郭のコピー以上の判断を含むと考えられます。

自分の表現へ引き寄せるなら、先に残したい関係を一つ選ぶ方法があります。形の輪郭なのか、少しずつ違うものが並ぶ感じなのか、手を動かした時間が見えることなのか。同じ図を写す以外にも、選んだ関係を別の材料で確かめる案は出せます。これは草間の制作意図を代弁する手順ではなく、作品比較から生まれるBASの提案です。どの違いを残すかを決めるのは、取り組む本人です。自分の印を紙から布へ移す仕事で、輪郭と手の跡のどちらを残すか迷ったなら、その二つの見本を相談の入口にできます。「3人と相談してみる」から、別の材料でも守りたい関係と、変えてよい部分を一緒に考えてみてもよいでしょう。