全部の機会を追わない
機会を見つけても、全部を事業にすることはできません。本稿ではseizingを検討する場面として、顧客へ何を提供し、そのためにどの資源を使うかを選ぶ会議を置きます。ここからの選択項目は、しおり印刷のためのBASの応用案です。例にするのは、冊子制作を続けながら案内内容の更新支援を考える架空の「しおり印刷」です。 Teece (2007), Explicating dynamic capabilities
たとえば、更新用の原稿整理を引き受ける案と、配信システムまで自社で運営する案では、必要な人や責任が違います。顧客の困りごとが似ていても、一つの事業案にまとめません。自社が担える部分、協力先が必要な部分、まだ提供できない部分を分けます。
選択の記録には、見込む売上だけでなく、既存顧客の仕事に割けなくなる時間を書きます。「新事業担当」を置いても、その人が通常業務を抱えたままなら、実際には同じ時間を二度使う計画になりかねません。外す仕事も含めて責任者が決めます。
今回は選ばない案にも、その理由を添えます。顧客に価値がないのか、自社の準備が足りないのか、今の規模では維持できないのかで、再検討する条件は違います。会議で熱意が足りなかったという評価にせず、案と条件の関係として残します。機会の選択には、顧客へまだ約束していない段階と、すでに契約や納期がある段階の違いもあります。新しい案のために使える資源を数える時は、既存の約束を果たすために必要な分を先に確かめます。
組織と資源を組み替える
新しい仕事の名前を付けても、人の役割や予算の使い道が以前のままなら、実行段階で困ることがあります。本節は資源の再構成を、担当、データ、協力先、承認権限の具体的な組み合わせとして検討します。組織図を書き換えることだけを目標にはしません。 Teece (2007), Explicating dynamic capabilities
しおり印刷が案内内容の更新支援を始めるなら、誰が正しい原稿を受け取り、誰が版を管理し、誤りが見つかった時に誰が顧客へ連絡するかを決めます。従来の「入稿されたデータを印刷する」という担当範囲とは異なる仕事が生まれるからです。
技能のある人を移す時には、元の仕事の引き継ぎも計画に含めます。経験豊かな制作担当を新サービスへ集めた結果、既存の納期や品質を支えられなくなれば、その影響は新事業の外へ押し出されています。新しい部署の成績だけでは評価しません。
実行後は、権限を渡した相手が必要な情報も受け取れているかを確かめます。判断責任だけを移しても、顧客との約束や作業の履歴が見えなければ判断できません。人、時間、情報を一緒に見直すことが、この架空例での再配置の要点です。また、提携先へ仕事を渡す場合も、自社の責任が消えると決めつけません。顧客からの修正依頼を誰が受け、どこまで確認して渡すのかをそろえます。外注する範囲と、顧客への説明責任を持つ範囲を別々に書きます。
今ある強みを深める
Marchの1991年論文でいうexploitationには、既存のやり方の改善や効率化が含まれます。本稿ではこれを「深化」と呼びます。しおり印刷なら、校正の抜けを減らし、見積もりから納品までを安定させる仕事が、その検討対象になります。 March (1991), Exploration and Exploitation in Organizational Learning
深化を「古いやり方への固執」とひとまとめにはしません。誤植や納期遅れを減らす仕事は、今頼っている顧客にとって大切です。新しい取り組みを始めるからといって、その改善担当を余った時間で働く人へ変えてしまわないよう、必要な工数を確保します。
一方、改善指標が既存の工程の中だけで完結していないかは確認します。印刷速度が上がっても、顧客が頻繁な更新に困っているなら、その困りごとへの答えにはまだなっていません。工程の良さと、顧客の用事への適合を別々に報告する形が考えられます。
BASの提案は、改善案件ごとに「今の顧客の何を支えるか」を添えることです。精度、納期、負担の軽減など、具体的な役割を書きます。こうしておけば、新しい案との配分を話す時にも、既存業務を一律に削るのではなく、守る必要のある仕事を選べます。担当者の負担が減った場合にも、その時間を次の仕事へ使えるかを確かめます。細切れの待ち時間が減ることと、まとまった学習時間を確保できることは違います。改善で生まれた余裕の使い道まで、配分の話に含めます。
次の強み候補を試す
同じMarch論文でいうexplorationには、新しい可能性の探索や試行が含まれます。利益が表れる時期や確かさが深化と異なるため、資源配分は単純ではありません。新しい案を、既存事業の今月の売上だけで評価しない理由を考える手掛かりになります。 March (1991), Exploration and Exploitation in Organizational Learning
しおり印刷で、新しい顧客層の案内制作を少数引き受けるなら、まず何を知らないのかを明確にします。原稿の更新頻度なのか、担当者の作業時間なのか、継続して頼みたい範囲なのか。新商品を発売したという出来事と、知らなかったことが分かったという成果を分けます。
小さく始めること自体を成果にはしません。顧客と話した内容が担当者の頭にしか残らず、次の提案に使えなければ、会社として何を学んだのか説明しにくくなります。少数の経験を全顧客へ一般化せず、どんな条件で得られた知見かを添えて残します。
また、探索を掲げれば期限や説明責任がなくなるわけでもありません。次に判断する時点、必要な情報、追加の資源を求める理由を決めておきます。試行の詳しい測定法ではなく、組織がその学びを受け取り、次の配分を決められる状態を本稿では重視します。いまの業務と新しい案のどこで判断が止まっているかを整理したいときは、3人と相談してみる



